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「黄八丈」とは……
「黄八丈」という織物をご存知でしょうか?伊豆の沖島・八丈島には、古くから”八丈絹”とよばれる絹織物が伝承されており、離島の厳しい自然のなかで、今日まで織り継がれてきた、日本が誇る宝のひとつです。 この”八丈絹”とよばれた”絹の布”は、遠くは平安時代から室町時代にかけて、様々な書物にしたためられており、神秘的な歴史の成り立ちがあきらかにされるには、なお多くの刻を要するといわれています。「八丈島」という島の由来も、「八丈の織物が産される島」であるためという説があります。
つねに人々の目をみはらせてくれる、この南島特有の太陽を思わせる強烈な”黄の色”の縞と格子、それに織り添えた、離島の島肌を思わせる”とび色”の渋い流れ、黒潮のイメージで刷かれた”黒い筋”のアクセント。巧みなまでの色彩の表現は、数百年のときを経ても人々に感動を与えてくれるのです。
黄の色の鮮やかさを主とし、鳶・黒のかもし出す特有の色調校正の美しさは、江戸時代中ごろから町人文化の中に、一種のあこがれとして流行のはしりが芽生え始めたのでした。さらに、ちまたを賑わす歌舞・芝居・演芸の舞台衣装などにこの黄八丈が用いられたことによっても、庶民の興味がそそがれ、次第にその風俗に溶け込んで、「黄八丈」と親しみをもって呼ばれるようになったのでした。
黄八丈の流行
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▲八丈布(今様) |
黄八丈は江戸時代、将軍家へ納められていたものもあり、将軍家から各地の諸大名、奥向きへの下げ渡され、それが市中へ流れることが、全国に黄八丈が流行したと要因の一つといわれています。
こうした”黄八丈”の流行が、全国各地の絹織物産地などに、黄八丈にならった織物を生産させることになったのでした。やがて、”本場八丈”または”本島八丈”とよばれる八丈島の絹八丈を見習い、似せて、生産地の名を冠した「○○八丈」といった絹織物が続々と登場してきたのでした。
江戸末期から明治以降にかけて、「秋田八丈」、「米沢八丈」、「京八丈」、「尾州八丈」、「青梅八丈」、「丹後八丈」、「丹波八丈」、「信濃八丈」など産地の名を冠したいろいろな八丈が市場を賑わし、「銘仙八丈」、「縮八丈」、「山繭八丈」、「変り八丈」、「似せ八丈」などという品物もうまれたのでした。
さらに、庶民向きの綿糸による「綿八丈」、利用方法をも示した「丹前八丈」、「蒲団八丈」、「袴地八丈」、「裏地八丈」などもうまれました。
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